1.修祓 2.修行 3.鎮魂
  
3.鎮魂


教義では、
 
 この無我の境地を過ぎて御頂上に達すると人間は初めて、清々しい境地になって心が鎮まる。
 大自然と一体となり神の心となって初めて
神人合一の姿と成り、真の世界平和と諸人豊楽を祈念出来る。
 現世の心より、神の声を身近に聴き、魂で聴き、心で見るべき姿をそこに感じ、純粋に物を見つめることが出来る。
 これ即ち
鎮魂である。
 
 
 「羯諦、羯諦・・・」と言うこと、即ち、「皆で一緒に悟りの世界へ行きましょう。」と言うことです。
 
 決して、自分が「御蔭」を頂く=「力」を頂くということではないのです。
 
 あくまでも、「利他」、即ち、「自分は横に置いても、他の幸せを願う」ことが大切で、これにより「力」が後から着いて来るのです。
 
 これが、ここで言う「悟り」=「鎮魂」=「神人合一」と云うことではないでしょうか?
 
 清浄となった「六根」を研ぎ澄まし感じる・・・その中に「風」であれ、「法螺の音」であれ、「目の前の景色」であれ「気づかせて頂くこと」=「悟り」=「神人合一」は出来るのです。
 
 
4.まとめ

焼き太刀は
   鞘に納めて益荒男の
      心益々磨けとぞ思ふ

 決して、「鞘から刀を抜いて見せる」のが「石鎚信仰」ではないのであって、「切れる抜き身は内に秘め」「その姿・輝きに負けぬ自分を練ること」「修祓・修行・鎮魂」の本義ではないかと思います。
 
 

「2.修行」  

(宗)石鎚本教 吉見教会 〒759-6521 山口県下関市吉見古宿町9番7号 TEL:083-286-2064 E-mail:jihou@orange.ocn.ne.jp