1.修祓 2.修行 3.鎮魂
  
2.修行

教義では、

 清浄を意味する白衣に身を包み登拝する。この間、三つの御鎖の掛かった険阻な岩場をよじ登る厳しい行場がある。
 この御鎖にすがっている時こそあらゆる邪心をさり、唯一筋に全身全霊を御鎖にまかせている。
 これが
無我の境地である。
 
 さて、修行の方法に関しては、各々がご自分の体力や物理的なことを鑑みそれぞれのやり方をされており、どれが良いかなどと言い始めても取り留めも無い展開にしかなりません。
 
 ここでは、修行に関して、時間、質、量と言う面でお話しさせて頂きたいと思います。
 

1)時間(不生不滅と言うこと)
 
 命あるものは必ず死を迎えることは否定出来ません。ですから、「命ある間は精一杯生き抜くこと」が大切であり、「よそ見をせずに大切に生きること」である。
 「一生修行」という言葉があるように修験者として老いも死も大きな力に任せ、精進することが大切ではないでしょうか?
 
 食べられるときは食べましょう!
 
2)質(不垢不浄と言うこと)
  
 一時期、「汚い、きつい、危険」なる「3K」と言う言葉が流行ったことがありますよね?
 汗もかきます!筋肉痛にも悩まされます!転ぶこともあります!・・・
  
 でも、生かされているからこそ、これらを感じると言うことに気づき、どうせなるなら、プラス思考の3K(希望・工夫・感謝)で行きましょうよ?
 即ち、
  (1)希望:今日よりは明日という向上心を持つ。
(2)工夫:楽を求めるのでは無く、修行への義務感をも捨てる。
(3)感謝:機会を頂くことへの感謝の気持ちを持つ。

 修行やれと言われたからやるのでは無く、自ら意志や必要性によることが大切です。
 
 美味しくないものを食べても身に付きません!
 

3)量(不増不滅と言うこと)
  
 修行もしかり、不思議なもので一つ終われば次の宿題が出て来ます。
 ともすれば、自らが天狗となり修行は終わった・・・、自らを研鑽することが修行であるにも係わらず、「世俗の行?(本来の世俗の行は意味が違いますが・・・)」・・・もう神棚に祀られなければなりませんね?
 
 得意淡然、失意淡然:得意の時も大きい顔をせず失意の時もしょぼくれない!
 
 絵に描いた餅を食っても腹の足しになりません!
 
 
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