では、この二つの目的を持っての修験道とは何でしょう?
修験道には「山伏」と言う言葉が欠かせないKEYワードになります。
「山に伏す:山に入る」から「山伏」と言う短絡的なことを言われる方もおられますが、「山」と言う言葉は前述の通りですが、「伏」と言う字は「人」と言う偏(へん)と「犬」と言う旁(つくり)から出来ています。
すなわち、
1)「人」:神仏の御心に沿って生きる。 |
2)「犬」:獣・自分の思うがままに生きる。 |
を表します。
我々人間は、自分を見失い、ともすれば鼻高々と天狗となり、そっくり返る「獣!?」となりがちであり、神仏の御心に沿った本来のあるべき姿との狭間で葛藤して生きている。
これが我々人間の修行かもしれないが・・・。
この繰り返しの中で自分を磨いていく、「経“験”」を「重ねていく・“修”めていく」のが「修験道」です。
例えば、持ち物にしてもシカリ、例えば「引敷:ひっしき」という腰に着ける獣の皮がありますが、これも着けることにより、
1)地面が濡れていても座って腰が濡れない。 |
2)獣を皮まで使い供養する。 |
3)獣の皮を下に敷くことにより、獣・自分の思うがままに生きる気持ちを屈服する。 |
特に3)の意味合いが「山伏」の「山伏」たる所以なのです!
「験力」という言葉があります。これは、これらを総合した上での結果であり目的ではないのです。
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