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2009年10月10日 |
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471 冨嶋VS下関市の控訴審判決 2009年10月6日(火)午後1時10分
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裁判官3人はしかめ面を歪め、一審同様、終始、下を向いたままだった。片平朋子書記官も暗かった。
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判決は、本当は無かった「アクリル板屋根で合意」があったことにして、一審踏襲の民事訴訟法第246条違反の「控訴人冨嶋一部認容判決」+一審が下関市の言いなりで失念した「アクリル板のサイドパネルの撤去費用」を、被控訴人下関市に支払えというものだった。
そして、一審同様、裁判所が下関市の虚偽を隠蔽し、不当判決との辻褄合わせをするために、下関市が提出した「虚偽の乙号証」に手を加えて「ねつ造した資料」を判決書に添付していた。斯様に裁判官の不正(非行)をちりばめた判決だった。
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翌朝、近所の人間が「讀賣新聞に記事が出ていました。おめでとうございます」と言った。
2009年(平成21年)10月7日付讀賣新聞 |
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判決数日前、事務員が一審でいい記事を書いてくれた下関支局の記者に資料をもって挨拶に行った。その記者は「今度は広島の記者が行くようにします」と言った。判決当日、202号法廷の掲示板を見ている若い男性が讀賣新聞記者ではないかと思った。しかし、開廷するといなくなった。だから記者は傍聴していない。だけど記事が出た。これが「リーク記事」である。記者は悪くない。一審の朝日新聞のときもだが、裁判所・裁判官の前で、記者は子羊と同じである。裏返すと、裁判所・裁判官がいかに悪辣で腐っているかである。
訴状を陳述させなかった一審第1回期日に、政岡裁判長と下関市はすでに両手を挙げていた。政岡裁判長と下関市は真正面切って冨嶋と対決することができないで、弁論準備手続期間中に、判決の前提にした「本当は無かったアクリルでの合意」を「あったもの」にする罠を仕掛けた。しかし、その罠は、冨嶋が内容証明郵便で出した「第3回弁論準備手続調書に対する異議申立」で失敗した。裁判所は失敗したから使えないはずの罠を使っている。非常にややこしいが解明して、この「政岡裁判長と下関市が共犯で仕掛けた罠が失敗した顛末」を書いて、冨嶋は代理人にFAX並びに郵便で送った。 3 10月8日午後1時30分、地検下関支部に出向いた。
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江渕検事は終始笑顔を絶やさず、徳田事務官も礼儀正しかった。このように「不起訴にして引き下がってもらおう」というときの、検察のソフトな物腰は商売人以上である。 4 地検下関支部に行く前に以下の発信元不明のFAXの送信があった。 |
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冨嶋は食べ過ぎで消化不良をおこすことはあっても、これまで胃が痛んだことは1度もない。神経過敏と鈍感が併存している。
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政権が変わったことと、調べていくうちに、政岡裁判長の非行が証拠を以て明らかになったので、「裁判所」と「行政など社会の強者」の癒着をなくして、民事裁判における「調書の即時交付」・「記録機材の法廷内使用解禁」につながるように、「政岡克俊裁判長の訴追」に集中します。
医療過誤裁判のときには、梶本俊明地裁下関支部長が「被告はここで負けても、広島に行って、新たに鑑定をとって覆す」と言ったことだけで、訴追が可能だったから、今回の政岡同支部長の件は成功すると思います。梶本支部長のときは、証人が園田峯生弁護士1人しかおらず、他に証拠もなく、同弁護士の偽証で訴追が失敗した。 以上の次第で、訴追請求状の作成に没頭しているので、HP掲載の間隔があくことをご了承くださいませ。 民事裁判の予納式の「調書即時交付」と「記録機材の法廷内使用解禁」の運動を本格的に展開するときがきましたら、「裁判を正す会」の会員もそうでない人も運動に参加してください。 政権が変わった 今が 民事裁判改革のチャンス どうでもいいことであるが、廣永伸行右陪席と片平朋子書記官は判決書に名前を連ねることを嫌ったのではないか。 |
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